「遺作展で30年越しのスクラム」
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1978年5月、千葉県高校総合体育大会のラグビー会場。県立我孫子は、スクラムトライを狙って県立柏を攻め込んだ。「もう少し」。当時2年だった我孫子の岡田繁さん(48)がそう思った瞬間、スクラムがつぶれた。柏の最前列の選手が倒れたまま立ち上がれない。試合は中断し、選手は救急車で運ばれていった--。 岡田さんは、相手チームのこの選手が、同学年の増田久さんで、頸椎(けいつい)損傷で車椅子生活になったことを新聞などで知った。その後、我孫子のOB会でもたびたび話題になったという。 「今ごろどうしているだろう」。 ちょうど30年たった8年12月、気になって人づてに近況を確認した。結果は、予想以上に残念なものだった。この年の夏、亡くなっていたのだ。岡田さんは、高校以来の不義理を悔やんだ。 「なぜ、見舞いにも行かなかったのか……」 小学生のころから絵が好きだった増田さんは、事故から3年後の20歳ごろ本格的に油絵を始めた。不自由な指の間に絵筆を挟み、手を上下に動かして描く。家族旅行の際には妹久美子さん(41)らに気に入った風景を撮影してもらい、自宅でキャンバスに向かった。84年には県美術展覧会に初出品して入選。この入選作「階段のある団地」は、母校柏高校の卒業生たちが「卒業記念の母校への贈り物」として購入し、今も校内の廊下に飾られている。 08年春、増田さんを介護していた両親らが相次いで体調を崩し、増田さんも脱水症状を起こして入院。その後、衰弱した体が回復せず、7月25日死亡した。46歳だった。これまでに、風景画など約100点を残した。 岡田さんは、柏、我孫子双方のラグビー部OB会に声をかけ、柏市大津が丘の中村順二美術館で16~26日、増田さんの遺作展を開く(月、火曜休館、無料、TEL 04-7106-7272)。一周忌の25日には、しのぶ会にOBが集う予定だ。増田さんの死は、若き日に全力で闘った両高のラガーマンを呼び寄せた。 【岡 礼子】 |
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